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2013.11.01
Vol.69 〈業界人として心に残るとっておきの話〉

公用でM高校へ出かけたある日のことだった。

校長先生が、私たちを呼び止められて「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越し下さい」と云われ、校長室に案内された。

「実はある生徒の作文ですが・・・」

とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。

「僕の父親の仕事は鳶職である・・・」と云う書き出しから始まり、内容はおよそ次の様なことが書かれている。

「父親の休日は定まっていなかった。雨の日以外は日曜日も祭日もなく、お決まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける。仕事が終わると頭から足の先まで泥や埃で真っ黒くなって帰り、庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。僕の友達がいても平気で、そんな父の姿は恥ずかしく、嫌いだった。

小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。

たまの休みは、朝から焼酎を呑みながらテレビの前に座っていた。母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追い払う。『そんなに邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。

『濡れ落ち葉と云う言葉は、あんたにピッタリね・・・この粗大ゴミ!』

『なるほど俺にそっくりかハハハッ・・・うまい事云うなハハハッ・・・』と父は

受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。運動会も父が来たことなど一度もない。こんな父親などいなくてもかまわないと思ったりした。

ある日、名古屋へ遊びに出かけた。ふと気づくと高層ビルの建設現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が見に入った。僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。

(あの呑み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。一つ間違えば下は地獄だ。

女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父さんが・・・)僕は体が震えてきた。

8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた。」

校長は少し涙声で読み続けた。

「僕はなんと云う不潔な心で自分の父を見ていたのか・・・母は父の仕事ぶりを見たことがあるのだろうか。一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて云えるはずがない。僕は不覚にも涙がボロボロ頬を伝わった。体を張って、命をかけて僕を育ててくれる。何一つ文句らしいことも云わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。それにしても小言しか云えない母親の小さな心の薄っぺらさが情けなくなってきた。どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」そして彼は最後にこう書き結んでいる。

「一生懸命勉強して、一流の大学に入学し、一流の企業に就職して、日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、今日限りこんな夢は捨てる。これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行けるそして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と・・・。

「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。こう云う考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。そして子の親としてつくづく考えさせられました」としみじみ云った。

差し出されたお茶はとっくに冷めていたが、とっても温かくおいしかった。

                                                  潮文社『心に残るとっておきの話』

 

小生も同じ業界、建設業に携わるものの一人として、とて身に染み入る話です。

又、自分の子供達にこう云う考え方にさせられる様な背中を見せているのだろうか・・・

『黙して語らぬ。。。』

親父のキーワードなのかも知れません・・・

心したいものです。

感謝合掌。


 
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