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2013.06.01
Vol.64 〈生き様〉

その身は消えても、決して心は消えない

 

ある日、ひとりの女性が、灰色の顔をして当寺においでになりました。

「私、胃ガンなんです。スキルスと言われました」

スキルス胃ガンは、もっとも治療が難しく、再発性も高い悪性の胃ガンです。

「あなた、スキルスというが、意味わかって言ってるかね……
あとどのくらいと、言われたんですか」

「わかっています。あと半年と言われました」

「それで今日は、どういったご相談でしょうか」

「私の命を延ばしてください……
せめて、いま小学五年の娘が中学を出るまで」

彼女は40歳でした。私と同じ年です。
私にも子供がいます。
その若さで余命を宣告された彼女の悲痛な願いに、私は胸がぐっと詰まるのを感じました。

こういう願いを受けたとき、私はいつもジレンマに苦しみます。

仏さまに願ってもどうにもならないことは、この世にはいくらでもあるんです。
救えまいと思ってはいても、病気全快の祈願をしなければならないときがあります。
そうすることによって、その人や家族の心が、少しでも安らぐからです。

人は誰しも、必ず死を迎えます。
そうした定めの中で、心安らかに死を受け入れられるかどうかは、大きな課題なんですな。

彼女の闘病中、私にとっては忘れられない出来事がありました。

年に一度、御礼報謝として檀家さん方を250人ほど、佐賀の本山へと連れて行くんですが、その年に限って、現地でひどい雨となりましてね。
傘が役に立たないほどの、横なぐりの風雨ですよ。

本堂から典之院までは0.5キロほどあるので、ご老人や体の悪い人はバスに乗って上り、元気な者だけ私と歩くように指示を出しました。

ところがその中に、カッパを着て、娘の手を引く彼女の姿があったんです。

「なんでバスに乗らん。倒れたらどうするとね」

私の忠告に、彼女は悲痛な顔で懇願してきました。

「歩かせてください。
私が弱音を吐かん強い親の姿を娘に見せられる時間は、あとわずかしか残っていません」

彼女は半年の余命宣告から五年もの間、こうした毅然とした姿を保ち続けました。
その間、少なくとも私の前では、「つらい」「きつい」「なんで私だけが」などといった言葉を吐いたことは、ただの一度もありませんでした。

ついに、力尽きた彼女が他界したと知らせが届いたのは、年が明けた1月の晦日、肌を刺す寒い日の午後のことでした。

枕経に行くと、そこには中学3年になった娘さんがおりました。
愛娘が推薦で高校に合格したのを見届けるように、旅立っていったそうです。
彼女の最期の望みがかなったんですね。
母親の一念とはすごいもんですばい。

枕経が終わると、亡くなった彼女のお母さんが、

「実は昨日のことですが、亡くなる直前、娘が『起こして』と言いまして。
無理したらいけんと言ったんですが、どうしてもと言うんで起こしましたら、私に両手をついて『この子のことをどうかお願いします』って、言葉を振り絞るように言ったんです」
それが、最後の言葉だったそうです。

葬式が終わり、初七日の取り上げとなっても、忘れ形見の娘さんは、涙をひとつもこぼさないんですよな。
そして最後の最後に、私にこう聞いてきました。

「私のお母さん、成仏してますか」と。

「成仏はしとると思うよ。だけどね。
14歳の娘を残して心安らかな旅立ちができる母親など、この世には一人もおらんのじゃないかな」

「……私もそう思います。だから私は泣きません。
母が心安まるように、これから父と二人、一生懸命に生きていきます」

母親の生き様が、娘にこのような心をもたらしたんだなあ、と私は思いました。

山本英照 住職(福岡県 天徳山 金剛寺)

 

小生は小さい頃に母親を無くしました(生別)
しかしながら。。。母親の事はよく覚えています。
皆さん、不思議に思われるかもしれませんが・・・
三つ子の魂ではないが、3歳の頃の事も明確に覚えています。
但し、総天然色のカラーではなく…モノクロですが(笑)

母親の愛情をタップリと頂いていたように思います。

と、申しますのも・・・
いやな事。悲しい事。辛い事などはあまり記憶にないのですが・・・
嬉しい事。楽しい事。喜んでいる事。笑い転げている事はしっかり覚えているから不思議です。

母の愛。。。母の生き様。。。母の一念。。。

まだまだ、元氣にしております。

親孝行の真似事でもせねば・・・

と、思う今日この頃です。

 

感謝合掌。


 
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