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2010.08.01
Vol.31 〈大峰山参詣登山〉
 

皆さん『人生生涯小僧のこころ』塩沼亮潤大阿闍梨 著(致知出版社)と云う本を読まれた事はないでしょうか・・・?
吉野山金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行を満行されたすごいお坊さんなのです。私も以前に京都で塩沼大阿闍梨の講演を聴かして頂いた事があります。
本当にもの静かな口調で、ご自身の体験(修行)談をお話しになられていました。
その会場の最前列では我らが[盛和塾]の稲盛塾長も聴いておられたのですが・・・
大変、僭越な言い方ですが・・・お二方ともすごいオーラが出ていました。

その大峯山に登るご縁を頂きました。
私の実家は和歌山でして・・・大峯信仰、高野信仰の土地柄か・・・子供の頃から祖母に
「男は一生のうち一回は大峯山に登らなあかんよ!」
「大峯山に登ったら、やっと一人前!!」と云われ続けていました・・・
陀羅尼助丸(和漢胃腸薬)を常備薬として腹痛の時に服用する時も「大峯山」「大峯山」「大峯山」と呪文の様に・・・云われ続けていましたので・・・やっと念願叶ったと申しますか、大げさに云えばおばあちゃん孝行(一人前になったよ〜)かな〜と・・・。
私の友人がお世話役をして下さっている【滋賀銀行大嶺会】と云う講に参加させて頂き、7/10(土)そう!参院選の前日に登って参りました。この講もすごく歴史のある講だそうで・・・50年も参詣されている大先達や十数年の諸先輩方との計17名の方々とご一緒させて頂きました。

山上ヶ岳の麓、門前町洞川温泉の光緑園西清(宿泊所)にて出発前

 大峰山は奈良県南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳をさして云う、この一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であった。道場としての大峯山は単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味している。
 その中でも山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。大峰大橋を渡り発菩提心門をくぐる・・・山上ヶ岳に通じる登山道には宗教上の理由により女人禁制である旨を伝える大きな門あり(女人結界門:写真参照)1300年の伝統を守るための協力を依頼した看板が設置されている。

女人結界門を通るといよいよ登山開始。ここからは女人禁制。他の講の殿方を女人結界門まで見送りに来ていた奥様にシャッターをおしてもらった。

まずは講の先達の方々に混ざり登る。
急な山道を登り続ける、息をつく処に役行者が利用したと云う「お助け水」と呼ばれる清水が湧き出る場所に到着。ここで冷たい水で喉を潤す。お一人で登っておられる風の大先輩にお年を聞いてみると・・・なんと、82歳!!「マジで〜!」何でも今年で17年目、リタイヤされ65歳から登りはじめられたとか・・・「大先輩ありがとう!元氣頂きました。」

山道の途中に3箇所の茶屋(一ノ瀬茶屋・一本松茶屋・洞辻茶屋)が山道を覆い囲む様に建つ。ここで修験者は暫しの休息を取る。洞辻茶屋の出口に建立された不動明王に合掌し登山の無事を祈願。
ここから厳しい山岳の修行登山がはじまる。遠方に「鐘掛け岩」が見える。大変、急な崖を鎖を頼りによじ登る。参道は益々厳しくなる。慣れない新客にはつらく息が上がってくる・・・。

いよいよ、「鐘掛け岩」の登りに入る、先達の後を鎖を頼りに慎重に登る。「一歩間違えると・・・」とは良く云ったものだ、足の掛け方を間違えると上がる事も下りる事も出来なくなる。まさしく一歩間違えると・・・転落。山上ヶ岳、山上蔵王堂を拝む事無く地獄行き・・・
その昔、役行者はこの様な厳しい行場をすいすい飛ぶが如く駆け抜けたそうな・・・
大峯参詣登山のハイライト「西の覗き」の行場が前方に見えてくる。心の底で・・・
「ここかぁ〜〜」と・・・修行としてあの崖から谷底を拝む・・・数百メートルはあろう岸壁。大峯山は一年中雨が多い山である。しかも梅雨!しかしこの日は梅雨の合間の超快晴!遠くの山々も望める絶好の日和。谷底まで視界良好!かえって恐怖心をそそる・・・
最大の修行場「西の覗き」に着く。
我々の講の新客は3人!81歳のY大先輩に小生48歳に滋賀銀行東山支店のT君25歳
年功序列、んっ?若い者順??いづれにしても2番目(笑)&(小汗)
Y大先輩に続いていよいよ自分の番・・・
崖の上から、体にロープを巻き付け、同行の先達が確保、両足を山の先達に支えられるも崖下を覗くと足が自然と震える・・・天気良過ぎやし〜(笑)
20〜30度前方に傾斜した、まさしく崖っぷちから上半身を崖の下に乗り出す。
ごつごつした岩場に小生の(仮称)脂肪と云う名の筋肉が柔らかく岩に食い込みなかなか
前に行かない(恐怖心も手伝って?)と思ったのも束の間、体が宙に浮いた様な間隔・・・
先達の方々の大きな声が耳から入ってくるのだが・・・恐怖心からか?変な意味で集中しているのか?聞き取れない・・・唯一、「親に孝行するか〜!!」と「しっかり合掌せい!!」
が理解できました。「しますぅ〜」「しますぅ〜」「しますぅ〜」「しますぅ〜」「します!」
「しますって〜!!」・・と、しっかり合掌していました。



両肩にロープが力強く食い込み引き上げられ、地に足を付け「ほっ。。。」と深呼吸。
本当に生かされている事に感謝合掌の心境になりました。

少しビビリながら先へ・・・やっとのおもいで山上寺に着く、山上の大峯寺本堂の裏手にそそり立つ崖下が第二の行場「裏行場」希望者だけが向かう・・・。
新客の若手(私も)二人と先達K氏と山の先達の四名で・・・
再び、崖をよじ登り・・・崖の中の割れ目を体を小さくして抜けるこれも修行。崖に囲まれた隙間の道に(各所にいくつも)仏像が奉ってある。古来、修験者が修行の折、お経を唱えて通ったそうです。
いよいよ、裏行場の難所、山場に付く。今度は鎖も無い・・・岩に手を掛け、足を伸ばしてほんの僅かな岩の掛りしろに重心を移しながら身をへばりつかせよじ登る。左右の足の掛け違い、手の持ち違いが行き詰まり命取りになる事も・・・眼下は断崖絶壁!下は見ない!
見ると膝が笑い・・・足が震え・・・滑る・・・本能がそう教えてくれている様だ・・・
山の先達のアドバイスが無ければ当然、新客には無理であったろう・・・
ここでも生かして頂けた。

我らの講の先達、先輩方と合流。大峯山寺山上蔵王堂で一同拝し、般若心経を唱える。

記念写真を撮って下山の途に就く・・・。下りも大変!膝がカクカク入りながら・・・




山紫陽花がとても綺麗でした・・・



発菩提心門をくぐり
無事修行登山の終了にただただ感謝。
畏れ多く、塩沼大阿闍梨には大変失礼ですが。ルートは違え大峯山寺山上蔵王堂にお参りすると云う実践はできました。大阿闍梨の1/100000くらいの修行はできた。(かな?)
「西の覗き」で懺悔して、反省と云う方向に心が動いた時、迷いや苦しみは結局自分の心がつくっていたのだと氣がつきました。
あの断崖絶壁から突き出されて・・・正直思う事は・・・単純でした。
まだ「死にたくない!」
そして自分自身に「死ぬなよ!!」の声を投げかけました・・・。

 

大阿闍梨の著書にもありました・・・
『とても大変で困難な時代だと云われておりますが・・・もう駄目だと心をふさぎ込んでも答えは出ません。100%駄目だと云う事はありえません・・・。99%駄目だと云われても1%でも可能性があれば挑戦し続けるべきです。1%とは生きていると云う可能性です。
「どうしたらいいのかわからない』と云って何もしないのと、一歩前に出てわからない事が出るのでは同じわからないでも意味が違います。
 人生とは常に挫折と挑戦の繰り返しです。上手でも下手でも心を込めて実践する事に 人生の意義がある様に思います。みんなで幸せになれる様に、それぞれが自分の出来る範囲内で努力していけば、必ず道は開けると信じております。』

                                  感謝合掌。


 
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